空だ。
間違いなく空だ。
点滴袋が空になっている。
おかしい。
2回目の点滴が終了するのは12時20分のはずだ。
もう一度私は自宅から持ってきた置時計を見た。
時計の針が指しているのは11時30分。
2度見しても11時30分。
本当はいけないのだが、上半身を起こした(といっても、おしっこをするときにすでに起こしているのでもはや厳守する意味もないのだろうが・・・)。
体を起こした後、机の引き出しにしまってあったスマホを取り出して時間を確認した。
11時30分。
スマホで見ても11時30分。
間違いない。
今の時刻は11時30分なのだ。
1回目の点滴が終わったのがほぼ10時。
そして、その時点で1回目の点滴が1時間につき450ミリリットルという間違った速度で実行されていたことが判明した。そして、その間違いを私が取り立てて特徴のない薄い顔をしているナースに指摘した後、10時20分から1時間につき500ミリリットルの速度で2回目の点滴が開始されたはずだ。つまり2回目の点滴は12時20分に終了するというペースに設定されていたはずなのだ。
そのはずなのだ。
・・・いや、
私がその時点でこの目で確認したのは2回目の点滴の開始時刻が10時20分という事実だけだ。
点滴の速度が本当に1時間につき500ミリリットルの速度に設定されていたかどうかについてはこの目で確認したわけではない。
もしかしたら1時間以上もの大幅な遅れを看護師自身のミスで起こしてしまったという事実を隠蔽するためにものすごく速い速度で2回目の点滴が実行されていたのではなかろうか?
もしそうだったら私の体に何らかの悪影響が生じるのではないか?
あるいは速度自体はガイドライン通りに設定しているが、点滴の量が1リットルよりもかなり減らされていたということか?
2時間で終了するはずの2回目の点滴がそのおよそ半分の時間で終わっているということは、そのいずれかということになるのではないか?
様々な疑惑が頭をよぎりながら私はただただ頭上で空になっている点滴袋を眺めていた。
時計を見ると11時45分。
じっとしてても始まらない。
私はナースコールを押した。
しばらくすると、30代半ばくらいのまあまあ経験を積んでいそうな取り立てて特徴のない薄い顔をしているナースがやってきた。
「どうしましたか?」
「あの・・・点滴袋が空になっているんですけど・・・」
「あ、終わってますね」
あ、終わってますね、だと?
「採血しますので先生を呼んできます」
そう言って取り立てて特徴のない薄い顔をしているナースは何事もなかったようにして出て行った。
この病院に来てからというもの、予定外の出来事が次々と起こり続けている。
普通に考えてあり得ないことが起こっているのに、尽くいともあっさりとスルーされていく。
私が〝あり得ない〟と思っていることは実は大病院にとっては〝当たり前〟のことなのだろうか?
早い話〝原発性アルドステロン症の検査〟など取るに足らない雑務にすぎないということなのか・・・
結構時間が経ったような気がする。
時計を見た。
12時5分。
点滴袋が空になっているのを私が確認したのが11時30分。
実際はその前に点滴は終わっているはずだ。
つまり、点滴が終わってから少なくとも35分以上は経過しているということになる。
生理食塩水負荷試験は4時間かけて2リットルの生理食塩水を体内に注入し、そして注入が終わる4時間後に採血をしてアルドステロン濃度の変化を測定するという検査だ。
つまり点滴が終了したらその時点で採血をしなければならないのだ。
それなのに点滴が終わって少なくとも35分が経過しているというのに私はベットの上で放置されている。
取るに足らない患者
しばらくすると、どう見ても20代前半にしか見えないピチピチした若い女性研修医Mとどう見ても30代前半にしか見えないハリのない女性研修医Yが揃い踏みでやってきた。
時計を見た。
12時20分。
点滴が終わってから少なくとも50分以上は経過していた。
こんなんで正確なデータを取れるはずもない。
どうしてこんなに長い間放置されなければならないのか・・・
ん?
12時20分?
これは取り立てて特徴のない薄い顔をしているナースが私に点滴速度の間違いを指摘された後、速度を1時間につき500ミリリットルに正して2回目の点滴を開始してからちょうど2時間後ではないか。
つまり本来の生理食塩水負荷試験の終了予定時刻の11時10分よりも1時間10分遅れではあるが、速度を正してからの修正された検査終了予定時刻だ。
つまり、本当ならこの12時20分に2回目の点滴が終了し、そして医師が採血をしにくる時刻なのだ。
この事実は何を意味しているのだろうか?
私は冷静になって考えてみた・・・
「W先生。点滴が終わったので採血をお願いします」
「え・・・早くないか?2回目の点滴を開始したのは10時20分と記録されているぞ」
「・・・・・」
「君。もしかして遅れを取り戻すために点滴速度を倍にしたんじゃないだろうな!」
「あの・・・その・・・」
「なんてことをしてくれたんだ!点滴の速度を速くしたら心臓に負担がかかって事故につながる危険もあるんだぞ!もし患者に何かあったら私の責任問題になるんだよ!」
「あの・・・その・・・」
「もういい!Y君。M君。12時20分まで待ってそれから採血にいってくれ。くれぐれも点滴速度を倍にしていたなんてことは患者には内緒だぞ!」
「わかりました」
・・・なんて密談が裏で交わされていたのではないか?
「終わりました。午後は下垂体MRI検査を実施しますので、それまで休んでいてください」
そう言うと、どう見ても20代前半にしか見えないピチピチした若い女性研修医Mとどう見ても30代前半にしか見えないハリのない女性研修医Yは何事もなかったかのようにして部屋を出て行った・・・