明日の生理食塩水負荷試験のための拷問が終わった後、私はベットの上で文庫本の続きを読みふけっていた。

 

仕事の最中はしばしばカーッと喉の奥から火が出るような渇きを感じるのだが、今日はそこまでの渇きはない。
もちろん、全く口渇症状が出ないわけではないのだが、それでも普段に比べれば格段に喉の渇きは少ない。
やはりT医師が言うように私の喉の渇きはストレスからくる心因性のものなのだろうか・・・。

 

シャワーを使える時間が来たので私はタオルと着替えをもってシャワー室に向かった。
殺風景なシャワー室だったが、わりと広めのスペースでリラックスして体を洗うことができた。
私の髪は決して多いといえるものではないが、それでも髪は毎日洗いたい。
風呂は一日おきだがシャワーが毎日使えるというのは本当にありがたかった。

 

シャワーを浴びた後、夕食の時間が来たので私はカップをもって食堂に行き、ひとりで夕食を済ませた。

食堂から部屋に戻ってくると、隣のベットに髪がわずかに生き残っている70代前半くらいの男が胡坐をかいて座っていた。

私は老けこけた男にはまるで興味がないので軽く会釈だけして文庫本の続きを読もうとしていた。

 

「あの・・・あなたも目の手術で入院されているのですか?」

 

髪がわずかに生き残っている70代前半くらいの老けこけた男が唐突に私に話しかけていた。

 

「目?いえ、違います。私はホルモンの値の検査のための入院です」

「あ~そうですか。ここは目の手術をする人だけかと思っていました・・・」

「はぁ・・・」

「実は私白内障でしてね・・・明日手術することになっているんですよ・・・」

「そうですか・・・」

 

全くどうでもいい話であり私としては今すぐにでも文庫本の続きを読み始めたいところなのだが、いかんともしがたい状況に陥り始めた。

 

「目の中にレンズを入れるんですけどね・・・ちょっと怖くてね・・・今から落ち着かないんですよ」

 

知るか。
70のじじぃが40後半のおっさんに甘えるな。

 

「すぐに終わるらしいんですけどね・・・でもやっぱり目を切られるってのはちょっと・・・」

 

そういえば私の父も白内障の手術を受けている。
しかし、父は手術前に私や母に対して怖がっている素振りなどは全く見せなかった。
普通はそうだろう。いい年した大人の男なのだから。

それなのになんでこの髪がわずかに生き残っている70代前半くらいの老けこけた男は見ず知らずの40代後半のおっさんである私に甘えてくるのだろう・・・
まさか一晩中この調子で私に甘えるつもりなんじゃなかろうか?
ちょっと勘弁してくれよ・・・
ベットもすぐ近くだというのに・・・

 

 

すると突然、私たちの入院部屋にものすごくちっちゃい男が入ってきた。
まるで白衣をきたウンパ・ルンパだ。

ウンパ・ルンパは右手を上げてとってもフレンドリーな感じの笑顔を振りまいている。
そしてそのとってもフレンドリーな感じの笑顔はどうやら私に向けられているようだ。

 

でも知らない。
こんなウンパ・ルンパみたいな男を私は知らない。

 

笑顔を送られた私の顔がこわばっていることを察知したウンパ・ルンパの顔から笑顔が消えた。

その瞬間、私の頭の中でウンパ・ルンパとある男の存在が結びついた。

 

「あっ、T先生でしたか・・・。すみません、ちょっとすぐにはわからなくて・・・」

「いやいや、ちょっと近くを通りかかったものでね・・・この部屋に入院しているって聞いていたから・・・」

「あ・・・お忙しいのにわざわざ来てくださって・・・」

「いやいや・・・」

 

もともとギクシャクした感じの私とT医師ではあったが、それでもとってもフレンドリーな感じの笑顔で私の部屋まで来てくれたのにそれがT医師とはわからずまるで白衣を着たウンパ・ルンパを見るような目をしてしまった私を見て、さらに私とT医師の間にはギクシャクした空気が生まれてしまった。

 

T医師は、じゃあ、と一言いい残して部屋を出て行った。
本当は検査の経過などを聞きに来てくれたんだとは思うが・・・悪いことをしてしまった。

 
それにしてもT医師がこんなにちっちゃな男だったとは・・・
顔は人並み以上にデカいというのに・・・
 
 

だが、T医師の登場が契機となって甘えてくる髪がわずかに生き残っている70代前半くらいの老けこけた男との会話が途切れた。

私は再び付け入られる隙を作らないようにとっととベットの中に入り文庫本を読み始めた。