キツネ目の医師S

 

2106年3月10日

今日は代謝内分泌内科の初受診の日だ。

尿崩症の疑いが完全には否定されていないことから、その検査をすることを前提としての受診なのだ。

 

例によって代謝内分泌内科の待合室にも人がごったがえしている。

予約時間を1時間以上経過して、ようやく私の番号が呼ばれた。

 

「失礼します」

 

診察室のドアを開けると担当医師が机の上のモニター画面を見ていた。

私が椅子に座ると、その医師は私に顔を向けた。

 

若い・・・

30代前半か。

顔の肌がつるっとしている。

といっても決して美形なわけではない。

なんというか、キツネのような顔をしている。

髪型も昭和の七三分けだ。

そして、昭和な銀縁メガネ。

 

「よろしくお願いします」

「のび助さんですね・・・」

 

 

医師の名はS”

 

 

この医師S。

表情がない。

顔の筋肉の発達が未成熟なのだろうか、顔の中で動きがあるのは口だけだ。

それ以外の部分は微動だにしていないように見える。

視線もなんというか機械的だ。

一応、話をするときは患者である私の顔に視線を向けている。

しかし、その視線に“温度”がないような感じがする。

 

どうにも馴染めない空気間の中で私はS医師にこれまでの経緯を簡単に説明した。

Sは全く無表情のまま、私から視線をそらさずに話を聞いていた。

 

「飲水量が多いから尿の回数が多いのか、尿が出るから喉が渇くのか、調べる必要がありますね」

 

まるでボタンを押されて自動的に声を出すロボットのようにS医師は答えた。

 

なんだろう・・・

子供のころからず~っと真面目に勉強してきたんだろうな。

そして、いつもテストで100点をとってきたんだろうな。

医師としても教科書通りの答えを出せるんだろうな。

そんな感じがする。

 

「まず、尿が出るから喉が渇くのか、つまり尿崩症かどうかは脳のMRをとって調べます」

「はい」

「そしてもう一つの可能性。つまり飲水量が多いから尿の回数が多いのかを調べるために入院して検査をしましょう。入院して飲水量を制限し、体の変化を見る。その結果異常がなければ飲水量が多くて尿の回数が多いこと自体は問題ない、という判断になります」

 

入院か・・・

 

「そして入院するのであれば、同時に原発性アルドステロン症の機能検査を受けてみませんか?」

 

え・・・

 

入院~そして原発性アルドステロン症の機能確認検査へ

 

「原発性アルドステロン症のスクリーニング検査結果を見ました。ARRが425ですね。ARRが400を超えると原発性アルドステロン症の疑いがかなり強いです」

「はい。ただT先生の説明によるとアルドステロン濃度自体が低いので原発性アルドステロン症の可能性は低いということでしたが・・・。陰性という診断でした」

「アルドステロン濃度が85。確かに高くはありません。しかし決して低い数値とはいえません。ARRが400を超えている以上、原発性アルドステロン症の機能確認検査を受けることを勧めますよ。どうせ入院するのですしね」

「はぁ」

「実は高血圧内科と内分泌化内科とではガイドライン、判断基準が異なります。内分泌化内科としては機能確認検査をすべきケースなのです」

 

 

ガイドラインが異なる・・・

そういえば私が読んだ医学書にもそんなことが書いてあったような気がする。

でも、なぜ同じ病気に対して判断基準が異なったりするのだろう?

患者が病院に来る目的はただ一つ。病気を治すことだ。

病気が同じで目的も一つなのに、なぜ立場によって基準が違ってくるんだ?

政治じゃあるまいし。

医学は科学ではないのか?

 

もっとわかりやすい原発性アルドステロン症診療マニュアル

患者さんのための原発性アルドステロン症 Q&A

 

しかし、まぁいい。

やっぱり原発性アルドステロン症の疑いは強いのか。

私もそんな気がしていたんだ。

“教科書”がそう言っているのだから間違いないだろう。

T医師の判断には何かバイアスがかかっているような気がするからな。

よし。乗った!

ここはTよりSに従おう。

入院して検査を受けよう。

 

「わかりました。検査入院を前向きに検討します。仕事のスケジュール調整をしなければいけないのでこの場で結論は出せませんが、次回の診断までにはお返事いたします」

「それで構いません」

「あの・・・それで入院は何日くらいになるのですか?仕事もあるのでできるだけ期間は短くしたいのですが」

「そうですね・・・通常であれば1週間くらいを要する検査になるんですが・・・・、ちょっと待ってくださいね」

 

Sは機械的にポケットから携帯を取り出しどこかに電話をかけ始めた。

 

「最短で4日間です」

「4日ですか。わかりました。それならなんとかなりそうです」

 

よかった。1週間も仕事を中断するのはちょっときついからな。

 

「ところで原発性アルドステロン症の機能確認検査をするということですが・・・それはカプトプリル負荷試験のことですよね?」

「カプトプリル負荷試験もしますが、その他の検査もあります。全部で3種類の試験をすることになります」

「え・・・それはフロセミド立位試験と生理食塩水負荷試験のことですか?」

「そうです」

「あの・・・T先生の話によると、この病院ではカプトプリル負荷試験しか実施しないということでしたが・・・」

「いえ、3種類とも実施しますよ」

「そうですか・・・」

 

また話が違う。

まぁいい。

私としてはとにかく正確な検査結果を知りたい。

1種類だけの検査よりも3種類受けたほうがいいのだ。

 

「わかりました。あ、それと入院費用はいくらになりますか?」

「正確な金額はここではわかりません。入院が決まってから担当の者がお知らせすることになります」

「そうですか・・・・。あの、私ネットなどで調べたのですが機能確認検査の入院費用の相場はだいたい7万円程度らしいんですよね。大体でいいんですけどこの病院もこの相場くらいと考えていいんでしょうかね?」

「ええ、それくらいになると思います」

「わかりました。では、次回までに結論を出しておきます」

 

思いがけない展開になった。

今日は全く疑っていない尿崩症の検査についての話を聞きに来たはずだったのに、原発性アルドステロン症の検査入院の話に繋がっていった。

そうなんだ。

私は原発性アルドステロン症を疑ってこの病院に来たのだ。

 

心はすでに決まっていた。

後は仕事のスケジュールを調整するだけだ。

1週間後の予約を入れて、私は病院を後にした。